『二十五、二十一』ナム・ジュヒョクとキム・テリが描いた、結ばれなくてもハッピーエンドだった愛
前回の記事ではスポーツと役を演じた俳優の話を中心に感想を書きましたが、このドラマを観終わったあと、思っていた以上に心に残るものが多くて、しばらく余韻から抜け出せませんでした。

試合のシーンや演技の素晴らしさももちろん印象的でしたが、それ以上に胸に残ったのは、ペク・イジンとナ・ヒドの”初恋”そのものだったように思います。
ただの青春ドラマでもなく、単なるラブストーリーでもない。
時代に揺さぶられながら、それでも確かに存在していた二人の愛。
『二十五、二十一』の最終回は本当にバッドエンドだったのでしょうか。
どうしてこんなにも心に残ったのだろう、と自分なりに整理したくなりました。
今回は感想とあらすじを交えながら、二人の”初恋”に焦点を当てて、もう一度ゆっくり振り返ってみようと思います。
ペク・イジンとナ・ヒド、時代に翻弄された出会い
ペク・イジンとナ・ヒドは、1998年という時代の流れの中で偶然出会います。
1998年の韓国の経済危機がなければ、二人は出会うことはなかったでしょうし、 2001年の同時多発テロがなければ、苦しくてもそのまま付き合い続けていたのかもしれません。
そう考えると、二人の関係は最初からずっと「時代」と隣り合わせだったのだと思います。
まだ二人とも未熟だったあの頃。
だからこそ、それぞれの性格もよりくっきりと浮かび上がります。
ヒドはアスリートらしく前向きで、はっきりしていて、引きずらない性格。
まだ若いのに、長い間思うような結果が出なくても、苦しい時間を抱えながらも自分を立て直せる強さを持っている人です。 あの揺るがなさは、見ているこちらが励まされるほどでした。
一方イジンは、愛情深い両親のもとで何不自由なく育ち、思いやりと責任感を身につけた青年でした。
しかし経済危機の影響でそのすべてが崩れ、家族はばらばらに。
かつての明るさやリーダーシップは大きく失われていました。
そんな中、イジンは一人取り残されたような気持ちでただ生き残るために過ごしていた時期に、 結果が出なくてもただ前を向き、フェンシングに純粋な努力を注ぎ続けるヒドと出会います。
あまりにも重く、厳しい現実の中で、イジンは出身校の後輩たちと自然に関わるようになり、 彼らの成長を見守ることで少しだけ肩の力を抜き、休息を得て、共に失敗しながら再び前に進んでいきます。
誰かの成長を見守ることが、自分の再生にもつながっていく。
あの時間は、イジンにとって確かに救いだったのではないでしょうか。
ヒドもまた、思春期の真っただ中で、自分を理解してくれない母とすれ違い続けていた時期でした。
そんなときに現れ、自分をまっすぐ応援してくれるイジンの存在に、彼女は少しずつ心を近づけていきます。
ただ応援してくれるだけの存在が、あれほど心強いものだということを、ヒドは初めて知ったのかもしれません。
私たちの関係は「虹」だと思うの
時間が経つと共に、二人はゆっくりと精神的に支え合うようになり、ある種の友情が芽生えていきます。
ヒドはまだ高校生。
イジンは大学を中退した高卒というタイトルを乗り越えて社会に居場所を築かなければならない立場。
イジンが借金取りに追われていた間、二人は長い間会えませんでした。
けれど、後に二人を引き裂くことになる”距離”が、最初は二人を強くし、友情以上の感情を育ててくれ、会えない時間が、かえって心を近づけることもあるのだと、あの二人は教えてくれました。
そして、町に戻ってきたイジンは、スポーツの見習い記者としてようやく足場を築き始めます。
しかし担当選手であるヒドとは、当然ながら一定の距離を保たなければならない立場でもありました。大事な人だからこそ簡単には踏み込めない。そこにいるのに、少し遠い。
彼女を大切に思い、支えられていることを感じながらも、二人は関係に名前をつけないまま時間を重ねていきます。
けれど、共に過ごす時間が長くなれば、芽生えた感情を無視することはできません。
何も言葉で言わなくてもイジンの優しさや思いやりに触れ、ヒドは次第に恋心を抱き始めます。
そしてある日、長い間やり取りしていたチャットの相手がイジンだと勘違いし、事故のように告白をしてしまうヒド。
そのつもりではなかったはずなのに、思わず口からこぼれた言葉。 あの一瞬の戸惑いと真剣さは、今思い出しても胸がぎゅっとなります。
少し早すぎたかもしれませんが、イジンもまた、背中を押されたかのように自分の感情が愛であることを素直に伝えます。
イジンは、何かを始めようとつもりはなくてもただ今の気持ちを正直に伝えたかったんでしょうね。
でも恋愛で最も大事なのはタイミング。
愛されていると知ったヒドは、もっとイジンに近づきたいと願います。
でもイジンにとっては、愛することがそのまま自分の仕事の責任と隣り合わせでした。
その重さを思うと、彼なりの覚悟がどれほど大きかったかが伝わってきます。
距離を置いて離れることはできない二人は、一歩踏み出すことを決めますが、あの時の選択が、後の別れへと静かにつながっていったのかもしれないですね。
それぞれの方法で愛していたけれど…
最初から物語を導いていくヒドの娘の姓は”ペク”ではありません。
つまり、ヒドはペク・イジンと結婚していない。
その前提で物語は始まります。
二人が別れることを、私たちは最初から知っているんですよね。
それでもどこかで、奇跡のように二人は結ばれるのではないかー そんな期待を抱いてしまう。 わかっているのに、願ってしまう。
このドラマは、私がこれまで観たどの作品よりも、夢と恋に痛いほど正直なドラマだと思います。
第15話あたりから、別れは既定路線のように進み、第16話の3分の2が別れに費やされます。
あまりにも現実的です。 だからこそ、目をそらせない。
忙しくても時間をつくり、600日間愛し合った二人。
しかし9.11が起こり、ニューヨークへ派遣されたイジンは、あまりにも惨烈な現実と向き合うことになります。
そして彼は、ひとりで耐えることを選びます。
愛する人と分かち合わず、それが正しいと思ったのでしょう。 守りたい気持ちが、逆に距離を生んでしまう。
家族に守られ、大きな困難を経験したことのなかった彼は、どうやって痛みを共有すればいいのか、まだ知らなかったのかもしれません。
だから自分の苦しみは自分で抱え、ヒドを巻き込みたくなかった。
けれど、恋人とは同じ線の上に立ち、痛みも共有しなければ、心は少しずつ離れていきます。
ヒドは、そんな彼との間に壁を感じ始めます。 言葉にできない違和感が、少しずつ広がっていく。
そしてイジンは、ヒドに何も言わず特派員へ志願します。
別れたかったわけではない。
ただ、自分の責任を果たそうとしただけ。
でもその選択は、“二人で決めた選択”ではありませんでした。
ヒドは問いかけます。
「本当に私を愛していたの?」
彼女にとって愛は、辛いことも分け合い、さらに深く支えるまでのことだったんでしょうね。
二人は確かに愛し合っていました。
けれど、相手が望む方法ではなく、自分なりのやり方で一生懸命愛していた。
若さゆえの未熟さ。
それが生んだすれ違いだったのかもしれません。
最終回で語られた二人の別れという成長
もしあのとき、イジンが
「ごめん、ちゃんと話すべきだった」と先に言っていたら。
「君は自分にとってこんな存在だった」と伝えていたら、どうなっていたでしょう。
「俺はこういう状況で苦しかった。どうしてわかってくれないんだ?」
「だったらどうして私に話してくれなかったの?」
第三者から見れば、どちらの言葉も理解できます。
でも恋人同士では、事実だけでは届かないことがあります。
本当に大切なのは、
「別れたくない」
「それでも愛している」
その気持ちを先に伝えることだったのかもしれません。
イジンもきっとそうだったでしょう。
社会部へ行く決断も、距離を置いたことも、すべては愛から来ていたと、もっと早く伝えられていたら。
でも、これは二人にとって初恋でした。
伝えられなかった感情だけが残り、本当に言うべきだった言葉を言えないまま、 苦しくても互いの幸せを願いながら、手を離します。
あの別れは、ただの終わりではなく、二人にとっての成長でもあったのだと思います。
そしてそれぞれの道を歩いていきます。

現実だったからこそ、勇気ある結末
ドラマなのだから、違う結末も描けたはずです。
二人を結ばせ、幸せに終わらせることもできたでしょう。
それでもそうしなかった。
あまりにも現実的だったからこそ、これは勇気のある、誠実なドラマだったのだと思います。
だからこそ、第16話はぜひ観てほしい。
すでに観た方も、別れを経験した人も、今まさに迷っている人も。
どうすれば”いい別れ”ができるのか。
本当に状況のせいなのか。
それでも離れたくないなら、どんな言葉を先に伝えるべきなのか。
きっと、それぞれに考える時間になるはずです。
私はこのドラマを長い間、避けてきました。
別れの結末を好む人は多くないから。
でも今は後悔していません。
「美しい別れ」という言葉が、こんなにも現実味を帯びて感じられたのは初めてでした。
二人はあの時代を生きなければならなかった。
夢を叶えなければならなかった。
そして、互いにとって力になれる存在でありたかった。
もしかすると私たちは、痛みを通して愛を学ぶのかもしれません。
この経験があったからこそ、いつかタイミングが合ったとき、もっと成熟した愛ができる。
だから私は、この物語をバッドエンドとは呼びたくない。
彼らは別れたけれど、結ばれなくても、その時間の中で確かに二人は成長しました。
そして、確かに成長していた。
それだけで、十分に美しい物語だったと私は思っています。


